カクテル・パーティー CDの為の注釈

底本について
おきなわおーでぃおぶっく、大城立裕「カクテル・パーティー」CDを作成するにあたり、 勉誠出版「沖縄文学選」(2005年10月20日初版第2刷)に収録されたものを底本としました。
1967年、芥川賞を受賞した直後に文藝春秋社から出版された作品集「カクテル・パーティー」がもっとも知られたものですが、 いくつか誤植等があるとの御指摘を大城先生から伺い、現在でも比較的入手しやすい勉誠出版を底本とすることに決定いたしました。
詳細を比較してはおりませんが、例えば、文藝春秋社版187頁6行目
「『後来坐上を、英語にすると?』孫氏は日本語ができないから、そういくほかはない。」
が、勉誠出版では、その最後が「そういうほかはない」となっていて、後者に従って読んでいます。


漢字に付された英語及び中国語読みのルビについて
「カクテル・パーティー」が描くパーティーの場面は、中国語や英語が入り交じっての会話で進行していきますが、 当然のことながら小説「カクテル・パーティー」は日本語で書かれています。 そうした場面では、漢字にそれぞれの言語の音(おん)がルビで振られている箇所が多くあります。
英語の場合はルビのカタカナを読みました。特に英語の発音にはせず、日本語の外来語的なイントネーションで読むこととしました。 但し、冒頭の部分、「守衛(ガード)にミスター・ミラーの名とハウス・ナンバーをいうと…」の「守衛」をどう読むかについては迷いました。 この「守衛」の存在は、意味深長な象徴ともいえる重要な道具立てです。それをいきなり「ガード」と呼んで、それが「守衛」のことであると理解していただけるでしょうか。 困った末、大城立裕先生にお伺いを立てることにしました。それに対する先生のお答は「ガード」と読みたいが「守衛」でも致し方なしとのことでした。
「ガードと読みたい」、その大城先生のお言葉で話は決まりました。断固「ガード」と読むことにしたのです。 それによって多少分かりにくくなろうとも、「ガード」という音が作品に与える効果を優先することにしました。
中国語の場合はさらに困りました。英語のカタカナ読みなら通用しますが、中国語ではそうはいきません。 例えば「後来坐上」という言葉ですが、文藝春秋社版では「ホウライツォシャン」、勉誠出版版では「ホウライチュイシャン」とルビが振ってあります。 これはどちらが正しいというより、より中国語の発音に近い表記をという変更だと思われます。つまり、中国語は原語の発音で読まれることを期待されているのでしょう。 それに対応すべく、中国語に精通されている大城先生からは御自身で録音されたテープをお送り頂きました。また謝周恩氏にもご教授いただきました。 さて御期待に添えたかどうか、不安であります。
一方、中国の地名など、通常日本語読みされるのが通例の言葉についてはルビが振られていませんが、「南京、湖南、江西、広西」と続く箇所の処理には、大城先生にも 妙案なく、思い切って中国語読みにすることとしました。「江西」と「広西」は日本語にすればどちらも「こうせい」ですが、中国の発音では全く違う音になります。


底本に変更を加えて読んだ箇所について
「カクテル・パーティー」底本と、今回のCDの読みとの相違点は次の通りです。
(ページ数は勉誠出版「沖縄文学選」のものですが、参考に文藝春秋版の該当ページを括弧内に表示しました。)
P112下段L10(P232、L6):五百余棟の → 五百棟あまりの
P121〜124(P249〜255):会話が続くところ、それぞれの台詞の前に「ミラー」「孫」「小川」と、その台詞を言う人間の名前が書かれていますが、 それらは全て読みませんでした。
P122(P252):
「小川(日本語で)それからさきは言わないほうがいい。
― (日本語で)ありがとう。しかしまだ本題にはいらないのだ。(中国語で)いま小川さんが言ったことの意味がわかりますか。 彼は私がこの私たちの安定したバランスを破ることを心配しているのです。」
2つ目の(日本語で)という注釈は省略し、前後の(日本語で)及び(中国語で)だけを読むこととしました。


パーティーの開かれた基地住宅・作家のI氏・K島・重慶の手前のWという町・M岬
カクテル・パーティーの開かれた基地住宅(ベースハウジング)のモデルは、現在那覇新都心として開発が進むおもろまちにかつてあった米軍住宅地区である。 その土地が返還されたのは1987年(昭和62年)、しかし本当の意味で沖縄の人々の元へ帰ってきたのか、今の町の姿を見れば、疑問に思わざるを得ない。 《MAPへ》
琉球料理を御馳走になりながら「さびしそうな色調ですね」とつぶやいたとされる「作家のI氏」とは井上靖氏のこと。 昭和24年に井上氏は「闘牛」で芥川賞と受賞するのだが、これは沖縄の闘牛を西宮球場で興業するという話。 大城立裕氏が芥川賞を受賞するのはそれから18年後、沖縄の日本復帰は23年後のことである。
赤ん坊を連れて散歩をしてい米兵の奥さんと離島の青年たちの自然な交流のエピソード。本島ではそうはいかないのではないかと「小川」に言わせた「K島」とは 久米島のことである。大城氏が実際に見かけたことを小説に盛り込んだのである。
孫氏が滞在した日本占領下の「重慶の手前のWという町」とは、全く架空の町である。実際の町を想定するには、確かに描かれている事件は重過ぎたのであろう。
そして、悲劇が起こった「M岬」は、真栄田岬を想定して書かれた。ダイビングや青の洞窟ツアーで若い観光客で賑わうスポットなのだが、訪れるどれだけの人たちが、 今なお残る沖縄の矛盾に思いを馳せていることだろうか。《MAPへ》  《真栄田岬のBlog記事へ》


「後来坐上」の場面について

「駈けつけ三杯!」小川氏が私を迎えるといった。私がついたとき、客はだいたいそろっていた。
「駈けつけ三杯を、中国語ではどういうのですか?」この一流新聞の若い特派員はいった。
「ホウライチュイシャン」私は、グラスをささげていった。
「それはちがいます。それは“あとの烏が先”だ」 「それもちがうさ」私は逆襲に出た。「後来坐上を、日本ではふつうそう訳しているけど、わたしはちがうと思いますよ。後来坐上はやっぱり“駈けつけ三杯”のほうが近い」

ただ聞いただけでは、この場面の会話の意味を理解することは困難であろう。 従って、CDをお聞きくださる方のために、ここでこの場面について説明をさせて頂くことにする。
「ホウライチュイシャン」は「後来坐上」と書く。 書籍ではこの漢字に「ホウライチュイシャン」とルビが振られている。音だけではなんのことやらさっぱりわからない。 「後来坐上」という表意文字があればこそ、この言葉が、後から来た者が上座に座るというようなことを意味しているのかなと想像がつくわけで、 それでやっとこの場面の会話が見えてくる。
「後の烏が先になる」は諺で、「後の雁が先になる」とも言う。 後の者が先の者を追い越すこと、つまり生徒や後輩が先生や先輩を追い越して出世することなどの喩えである。 なるほど、ここにいたってようやく「後来坐上」が「後の烏が先になる」という諺と同義であってもおかしくはないと納得できる。
しかし小説の中の「私」は、それは間違っているというのである。「後来坐上」は「駆けつけ三杯」に近いと。
この見解は、きっと大城立裕氏のものである。いずれご本人に伺って、また報告させていただこう。
(2011年1月18日:高山正樹 記)


コールマン髭について
乞うご期待。もう暫くお待ちください。