“小桜”with 東京奏楽舎

      於 : 門仲天井ホール

  第1部 : ヨハン・ゼバスティアン・バッハ の夜

  第2部 : 三笑亭夢丸新江戸噺“小桜”

(本公演は終了いたしました。ご来場ありがとうございました。)
三笑亭夢丸 三笑亭夢丸

はじまりは無伴奏の単音の響き、やがてバラバラな音たちが、懐かしい江戸の喧噪までも巻き込んで
門天の空へ
幽玄なる美しき小桜とともに、不思議な悲しみを伴って昇天していく……
80名限定。この上なく贅沢な夜。


日時:2009/04/11(土) 18:30 開場 19:00 開演
場所:門仲天井ホール
料金:当日\3,000 前売\2,800 定員80名
第1部:第一部 ヨハン・セバスチャン・バッハ の夜
  1.「オーボエ」パルティータ ト短調 BWV1013よりSarabannde、Bourree Anglaise
  2.「チェロ」無伴奏チェロ組曲第1番 BWV1007 より
  3.「ピアノ」インヴェンションより 1番、14番
  4.「ピアノ・チェロ・オーボエ」ソナタ ト短調 BWV1020
 (休憩)
第2部:小桜
 店の金を使い込み、勘当された大店の若旦那清兵衛が、なんと幽霊の遊女・小桜を見請けする事になる・・・。

門仲天井ホールの案内Site「もんてん・スケジュール」のページ
この日の【M.A.P.のブログ】

門天ちらし
内田英介(作曲)から届いたメッセージ

東京奏楽舎がソロ作品を含めたバッハの作品を取り上げると言う話を聞いて、僕は『おっ!』と思った。
理由は色々ある。
元々このグループは昨年2月頃に、三笑亭夢丸師匠とのコラボレーションの為に結成されたと言う、普通の室内楽のグループとは少しばかり違った事情で作られたグループである。 従って、今までは演奏する曲も落語に合わせる為の音楽を中心として、時代劇の主題曲や有名なクラシック曲等やや軽めの音楽をレパートリーとして来た。 勿論、全員が素晴らしいポテンシャルを持った演奏家の集団である為、当然彼等が奏でるバッハも存分に聴き応えのある演奏としてくれる事は言うまでも無いが、それ以上に、東京奏楽舎が奏でるバッハについて楽しみにしている事があるのだ。
考えてみると、『落語』と言う表現方法と『演奏会でバッハの作品を演奏する事』との共通点が意外と多い事に思い当たる。 まず、双方とも『再現芸術』である。 バッハ直筆の楽譜には音譜だけが書き連ねられているだけで、作曲家自身が楽譜に遺した表現方法は全くと言っていい程記されていない。 演奏家から見ると、甚だしく不親切な作曲家だ。 従って、バッハ作品を演奏する時演奏家は、強弱、ニュアンスを始めとした音楽全体の表現方法を自分で全て解釈し、熟成させなくてはならない。 同じ様に落語も、その多くの噺は江戸時代から遺っている写本等から、噺家が噺を自分の解釈、表現方法を加えて熟成させて行く芸である。
また、バッハの音楽は『対位法』と呼ばれる手法で書かれている。 普段耳にする有名なクラシック作品の多くは、解剖してみると『和音+メロディー』と言う手法を用いて書かれているのに対し、バッハの作品は、ソロ作品を含め、幾つものメロディーを同時に鳴らし、それを調和させて音楽を構築して行くと言う手法で書かれているのである。 落語家が多くの登場人物を一人で演じ分けるのと同じ様に、バッハの作品を演奏する時、演奏家は幾つものメロディーを一人で演じ分け、調和させる事によって音楽を創り上げて行く。
昨年より、夢丸師匠の至芸を特等席(笑)で聴き、触発されて来た東京奏楽舎のメンバーが、落語との共通点の多いバッハの音楽をどう演じてくれるか、僕も客席で楽しみに聴こうと思っている。


桃原健一(オーボエ)から届いたメッセージ

今回、僕が演奏するのは「パルティータ_ト短調_BWV_1013」から“Sarabannde”と“Bourrée Angaise”の2曲、 そして3人で演奏するは「ソナタ_ト短調_BWV_1020」ですが、どの曲も元々はフルートの為に作られたと言われています。 ソナタの方は偽作という噂もあります。 パルティータはオーボエ用にイ短調からト短調に下げられています。
いえいえ、オーボエでバッハという企画に不満があるってわけではないのですが、 無伴奏は演奏する機会が少ないので、一寸心配しているのです。伴奏がないと、休める所が無いのでキツいんです。 楽しようとするな!と突っ込まれそうですが、事実、キツいんです……。 偽作かどうかの真偽はともかく、どちらも改めて譜面を見ると、やはりよく出来ているんだと感じます。 果たして上手く(いや、美味く?!)料理する事が出来るのでしょうか!? 料理という表現をしましたが、音楽と料理は共通性が多いと思うのですが、僕だけ??何せ、食いしん坊なもんで… 美味しい物を 食べてると、それだけで幸せです。(いつの間にやら音楽の話でなくなってきた……)


大島純(チェロ)から届いたメッセージ

無伴奏チェロ組曲第1番BWV1007。名作である。
もともとこの曲は彼の膨大な作品群のなかに埋もれていた。
あるとき、カザルスという、チェロ界の志ん生ともいうべき巨匠が取り上げ、素晴らしい演奏を残した。 以来、全世界の聴衆に愛され続けてきているのだが、それは同時に演奏家にとって雪だるま的にプレッシャーをかけ続けているとも言える。
楽譜そのものは単純明快。しかし読めば読むほど、弾けば弾くほどどんどん深みに嵌まっていくのである。
聴衆はどんどん耳が肥えていき、演奏家はますますもがき苦しむ。これはいわば宿命とも言える。
時そばを口演する噺家の気持ちもこんな感じなのだろうか?
この機会に夢丸師匠にお伺いしてみて…いいのかなぁ…


菅野恵子(piano)から届いたメッセージ

“インベンション”は、バッハが長男のフリーデマンを教育するために書いたものです。 現代でも、ピアノの学習に欠かせない曲集となっています。
“インベンション”の特徴は、カノンのように右手と左手が追いかけあうのですが、言ってみれば一人二役、輪唱するような感覚なのです。 バッハは、息子のためにこのような曲をたくさん作曲したのですから、大変な教育パパだったようです。 でも、結局フリーデマンは音楽家にはならず、晩年は呑んだくれていたと言われています。 そのくらい、バッハの作品は、ピアノ学習者にとって、辛いものなのかもしれません。
でも、バッハの時代には現在のようなピアノはまだありませんでした。当時バッハは、チェンバロのために曲を書いたのです。
チェンバロはピアノのような形をしていますが、鍵盤の色が白黒逆で、弦をはじいて音を出します。 音もピアノのように延びることはなく、ペダルもありません。 現代にバッハの曲を演奏する時、ピアノでもチェンバロのように弾くほうがいいという意見と、ピアノで演奏するならばピアノらしく弾く方がいいという意見と、両方あります。
今回は、そんな“インベンション”の中から、2番と14番の2曲をお聞きいただきますが、チェンバロのように弾くかピアノのように弾くか、初心に帰ったような気持ちで、思案中です。