大城立裕の「対馬丸」より――「撃沈」「死とたたかう漂流」を読む

1944年7月、サイパンが陥落する。日本軍は沖縄決戦に備え、非戦闘員である老人・女性・子供を疎開させよとの指示を沖縄へ送る。対馬丸は、この疎開活動に当たっていた。
同8月22日鹿児島県・悪石島の北西10kmの地点で、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け対馬丸は沈没する。
大城立裕 『対馬丸』より
  「撃沈」「死とたたかう漂流」
作: 大城立裕
朗読: 菅家ゆかり
フォーマット: CD
ディスク数: 1
発売日: 2008年9月13日
価格(税込): \1,500
レーベル: M.A.P.
収録時間: 54'33" 大城立裕インタビュー(4'16")を含む
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大城立裕と「対馬丸」

大城立裕氏は、対馬丸遭難学徒遺族会遺族から対馬丸沈没の「事件」の記録の執筆を依嘱され、そうして1961年、「悪石島 疎開船学徒死のドキュメント」が、 文林書房より大城立裕・船越義彰・嘉陽安男の共著で出版された。しかし、実は執筆を依嘱されるまで、大城立裕氏でさえこの「事件」については知らなかったというのである。

その「あとがき」から、少し長いが引用させていただく。
「体験者の話をつきあわせてみて、むじゅんを発見したことも、たびたびです。年月をへた記憶のあいまいさにもよることでしょうが、 いまひとつ、あのおそろしい記憶をしいて払いおとそうと努めたひとや、なぜか真実を語ることためらわれたひとが存在するということも、ここに報告しなければなりますまい。 これもまた、あの暗い時代における遭難の悲劇の延長線にほかならない、と考えるからです。結果として、わたくしたちの判断を加味し、また現存のひとびとの気もちを察して書きました。 (中略)またわたくしたちの筆のつたなさから、語ってくださった体験者の語りほどには迫力をだしえなかったをもどかしく思います。」

いわゆる沖縄戦の真実を語るとき、いつも出てくる問題が、ここにもある。以来、「対馬丸」という事件の「大城立裕説」なるものが一人歩きを始めるのだが、 それが幸福なことであったのかどうか、大城立裕という小説家が、宿命的に背負わされたものをそこに感じるのだ。 やがてこのドキュメントは「対馬丸」と題名を変えて理論社より出版され、数多くの日本人が、「対馬丸」の悲劇を知ることになる。 大城立裕氏は、沖縄をヤマトに伝えるという役割を、ここでも引き受けたのだといえるだろう。

今回、大城立裕氏の作品をオーディオブックにするにあたり、大城氏ご自身より『対馬丸』の中の「撃沈」と「死と戦う漂流」(大城氏が執筆担当した箇所)を朗読してはどうかとのご提案を頂き、 気易くそれに従ったのだが、「対馬丸」は「ひめゆり」や「集団自決」にも匹敵する歴史的事件であることを、改めて感じ、その責任の重さを今更のように痛感しているのである。

犠牲者の数や当時の天候を始め、「対馬丸」という事件に関連する詳細な史実を云々する資格を我々は持たない。 それらについては、対馬丸記念館の資料や専門の研究者の方々の報告などに是非とも触れていただきたいと思う。 ただ我々にできることは、理不尽にも幼い命を奪われた子供たちへの、深い悲しみをたたえた大城立裕氏の眼差し、つまり沖縄の眼差しを伝えることによって、 これまで「対馬丸」を語り継ごうとされてこられた方々のご努力に対して、少しでもお手伝いができたならと願うのみである。
「対馬丸」を読む 菅家ゆかりさんはこんな人です。
菅家ゆかり
上智大学文学部新聞学科卒業後、日本テレビ放送網(株)にアナウンサーとして入社。 ニュース、スポーツ情報番組の司会やレポーター、芸能情報番組の司会等幅広いジャンルで活動。 久米宏氏とトーク番組“おしゃれ”(5年)、“たのしい園芸”、“ご存じですか”(広報番組)などで司会を担当しました。
退社後はフリーランスのアナウンサーとして活動を展開。
テレビ東京「東京レポート」(東京都広報番組)
ラジオ日本「川崎ウォーク」(川崎市広報番組)
CS放送 ‘G+’「読売とれんど」(ニュース解説番組)
日本テレビ「ご存じですか」(内閣府他提供、広報番組)等に出演。
その他、新聞社などのシンポジュームやセミナー、表彰式の司会や様々な分野のナレーションも担当。 また、大学や日テレ学院他専門学校で講師を務め、アナウンスの基礎、会話表現、自己演出法などを後進に指導、 社会人や各種団体向けのセミナーや研修でも自己表現法の他、フェイスニング(魅力的な表情をつくる表情筋のトレーニング)の指導なども行っています。

命の尊さ、平和の大切さを伝えるために・・・菅家ゆかり

突然、友人である高山正樹氏から、「オーディオブックなるものを作るから手伝ってくれないか」と連絡があり、大城氏の『対馬丸』を朗読させていただくことになった。
お恥ずかしいのだが、対馬丸の事件の詳細を知ったのは、4年ほど前である。 対馬丸記念館が開館する時に、当時担当していた番組で取材し、実際に沖縄に行ったスタッフから話を聞いたことがきっかけであった。
子どもを含め1400人以上の方が犠牲になった事実に驚かされた。 2人の子どもの母でもあり、まだまだ親に甘えたい子どもたちの言葉や行動に胸が締め付けられた記憶があった。 当時は、この作品を自分が朗読するとは思いもしなかった。
アナウンサーが読むニュースやナレーション原稿とは勝手が違って、ひと文字、ひと言に込められた作者の想いを伝えることが難しく、奥深さを痛感した。
命の尊さ、平和の大切さ、生きようと必死に行動した子どもたちの様子をできるだけ多くに人に知ってもらえるきっかけになることを願っている。